近所の洋食屋さん

5年間過ごした街ともお別れです。

最後になってみると、少しの物悲しさがあるもので。

今覚えていることをいつか忘れてしまうと考えたら、つらい。

年を経るごとにワンピースで流れていた「memories」の歌詞がどんどん沁みるようになってきた。

小さな頃は、謎の焦燥感がある癖に、時間がちっとも進まないから、無力感しかなかった。

もがくということは本人が思っている以上に「もがいて」はいないんだろうなぁ。

もしも世界が変わるのなら、何も知らない頃の私に連れていって。思い出が色あせないように。

もしも時代が戻るのなら、涙を知った頃の私に連れていって。せつなさが追いつかないように。

時々、氷漬けになれたら、と思う時もあったりするくらい、素敵な思い出が多かったりする。

センチメンタルぅ。

 

そんなセンチメンタルさを助長する一日だった、今日は。

引越しの準備をしつつ、昼には『にくかい』として、行ったことがない豚カツ屋に行った。

そして、夕飯は一人で近所の洋食屋さんに行ってみた。初めて。

昔、友人から聞いた評価では「あまり美味しくなくて、量も少なく、高い」とのことだった。

散々だ。

実際に行ってみると、割と広い店内に客は0。

どこに座ろうかとちょっと迷ったけど、結局一番大きいテーブルに座ることにした。

オムライスを注文してしばらくして、二人の客が細々と入ってきた。

あぁ、意外と繁盛してるんだな。

ちょっと「学生街の喫茶店」の歌詞を思い出しながらオムライスを突ついているとこれまたセンチメンタルな気分に。

君とよくこの店に来たものさ。訳もなくお茶を飲み話したよ。

学生で賑やかなこの店の片隅で聞いていたボブ・ディラン

流れている曲はクリープハイプのどうしてどうして、と繰り返す曲だったけど。

学生はいやしなかったけど。

結局、味は濃いめで途中で重いなぁと思いながら食べる羽目に。

でも、何か良い空気が流れていた気がする。

やっぱり、「場」というのはあれだなぁ、貴重だなぁ。

 

前に、少し離れた行ったことがないインド料理屋に彼女と行った。

ちょっとした溜まり場になっていて、自分の知らない場があった。

料理は意外に美味しくて、量が多かった。

行ってみないと分からないことがあったり。

その人と共有したいことがあったり。

何となくぼーっとしたかったり。

いろいろな場に出会っていって、それぞれの経験を積んでいきたい。

そんなとりとめのないことを近所の洋食屋さんで考えることができた。

 

そして、何より人の縁を大事にしたいものだ。

大事にする努力を怠ったら、縁にそっぽ向かれるだろうから。

人運に恵まれていることを感謝。